Blog: イスラエル旅行(エルサレム編)
先日ブログに書いたレコーディングが終わった翌々日、家族でイスラエルへいきました。1年以上前から夢見て祈って計画していた旅でした。残念ながら主人だけ仕事で行けなくなってしまいましたが、両親、兄、私の子供達、妹2人とそれぞれの旦那さん&子供(1歳4ヶ月と0歳4ヶ月)、弟の13人での旅になりました。父は17回目?わたしは初のイスラエルでした。5日間滞在した旅の出来事のシェアと、子連れでイスラエルへ行くことを考えている人に助けになるインフォメーションを少しでもシェアできればと思っています。
寝ずに荷造りし早朝5時のバスで成田へいきました。まずここですね。子供連れで行くみなさん、絶対寝てください(笑)当然ですが。私は旅行の前スケジュールがタイトで徹夜で荷造りして行きましたが愚かでした。(笑)結局飛行機でも寝れず2日くらい寝ないままでフラフラでした。今まで一人で海外へ行くときはよくほぼ徹夜で飛行機でぐっすり寝るパターンが多かったですが、子連れではそれはできないことがよくわかりました🤤 夜にテルアビブに到着し、その日はホテルについて寝ました。
初日は一日エルサレムを散策しました。まずはオリーブ山からエルサレム旧市街を一望。街を見渡しながらかつてあった建物や現状を見るとユダヤ教とイスラム教の歴史をざっと知ることが出来ました。そこからゲッセマネの園、Church of All Nations (万国民の教会)へ行きました。万国民の教会はイエス様が十字架にかかる前夜祈っていた場所とされているところです。「この杯をわたしから取り去ってください。でもわたしの願いではなくあなたの御心のとおりになりますように」と祈った場所とされる岩が教会の真ん中にあります。教会の端にも岩肌が出ているところがあり、「実はこっちだったかもしれないじゃんね」なんて言いながら。中では礼拝しているグループがいて、賛美歌が会堂に響いていました。
ゲッセマネを後にして次は最後の晩餐と聖霊が降った場所として有名な「上の部屋」。ユダヤ教徒にとって大切なダビデの墓とされている場所の上にあります。そのあとはシオンの丘。Church of Saint Peter in Gallicantu (鶏鳴教会)、ペテロが3度イエス様を知らないと言ったエピソードがありますね。ゲッセマネの園でユダの裏切りによってイエス様は大祭司カヤパ(カイアファの子ヨセフ)の家へ連行されます。この鶏鳴教会の下にカヤパの家の跡があり、イエス様が入れられたとされるダンジョンを見ることが出来ます。大祭司の中庭へ入り込んだペテロは「お前イエスと一緒にいただろう」と言われますが否定します。自分の先生が恐ろしい扱いを受けている姿を見て恐怖を感じたでしょう。イエス様に「ニワトリが鳴く前に3度わたしを知らないと言うだろう」と言われ「あなたを知らないなんて、絶対言わない!」と言ったペテロ。自分の不甲斐なさや恐怖やイエス様の正しさや混乱、失望の渦だっただろうと思います。でも私たちの弱さも包み込んでくれる懐の深い神様。復活の後のエピソードも考えるとなんとも感慨深いです。イエス様が連行される時に実際に歩いた階段やカヤパの家の地下とされている場所は見所があります。
シオン門をくぐりエルサレム旧市街を散策。旧市街は道がガタガタしていて階段も多いのでベビーカーは不向きでした。4歳の子はよく歩いてくれましたが2歳の方はずっと抱っこで途中で眠ってしまいました。(でもここでベビーカーで寝かせてお昼を食べられたのでよかった)。主人がいなかったけど弟がよく手伝ってくれました。弟はジムのトレーナーで余るほど筋肉があるので(笑)2歳児を乗せた軽量ベビーカーをスイスイ運んでくれました。本当助かった!
エルサレム旧市街はユダヤ人地区、キリスト教徒地区、ムスリム地区、アルメニア人地区に別れていて、歩いていると地区によって風景が全然違います。お昼はアルメニア料理やさんでランチしました。平たいパンやフムス、ファラフェル、サラダなど。子供にはピザを出してくれました。食後はドロローサの道を歩き、聖墳墓教会へ。イエスが十字架にかかったゴルゴダと埋葬される前に横たわらされた場所、そして葬られた墓があった場所とされている。中は薄暗い。建物の中にまた建物があったりして、当時の情景を思い浮かべるには想像力が要される。この頃にはベビーの抱っこやら旅疲れやらでもういろんな意味でお腹いっぱい。雨もまたパラパラ降ってきたのでバスへ戻って移動しました。
長くなったので今日はここら辺で。次回は1日目後半、ベツレヘムです!