肩書きよりも大切なものはあるのか
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小学校6年生の図工の時間に、将来の夢についての紙粘土工作をしました。野球の選手やアイドル歌手など自分がなりたいものになった姿を紙粘土で作るといったものでした。私はこれといってなりたいものがなかったので先生に「ありません」といったら「何か作って」と言われました。このことが私にはとても印象的に記憶に残っているのです。
私は幼い時から、「何をするか」よりも「どんな人になるか」の方がはるかに大切だと考えていました。「夢」というものが職業とイコール扱いされることにも疑問を感じていました。どんな職業に就くかよりも、どんな人間になるかの方が重要だと信じていました。工作のために将来の夢を作りあげなくてはいけないのも腑に落ちませんでしたが、まだ6年生だったので先生に言われるまま適当なところで別になりたいとも思っていないバスガイド姿の白人女性の粘土工作を作ったのでした。
そんな考えは青年期にも変わらず、同世代の人たちと話すと時折考え方の違いを感じる時が多々ありました。私は好きなことを仕事にする必要はないと思っていました。仕事はお金を稼ぐ手段であって、必ずしも情熱を感じていることを仕事にしなくても、好きなことは趣味の時間にして仕事は自分の力をなるべく最大限に発揮できるところでできるだけ稼げるのが効率がいいが、モラルに反するものでなければどんな仕事をしてもいいのではと思っていました。なので幼い頃から音楽は好きでしたが音楽を仕事にしようとは全く思っていなく、今のように作曲・作詞家になることは夢にも思っていませんでした。完全に神様の仕業としか考えようがありません。
父と母は「〇〇をしなさい」と言う事は滅多にありませんでした。私がインターナショナルスクールの9年生の時に学校を辞めた時も、「学校に行きなさい」とも言いませんでした。しかし「学校に行かないなら仕事した方がいいんじゃない?」と言われたのでアルバイトをはじめ、知人に「高校は卒業した方がいいんじゃない?」と言われた時になんとなくそのような気がして結局21才の誕生日のすぐ後に高校を卒業しましたが、クラブで歌っていた時も「やめなさい」と言われなかったように思います。その代わり、「何を着ようかな」と言った私に
「自身がrepresentしたい姿に見られるような格好をしたら」と言われたことが印象に残っています。自身が示したい自分の姿を表現する格好をすべきとは深い格言に思えました。今でも人前に立つ前に準備をしているとよくその言葉を思い出します。
両親は私をコントロールしようとせず、ある意味私のモラルを信頼して私に様々な決断をさせてくれたのです。それは私にとって責任が伴う事であり、失敗のリスクもある事ですが、親に決断を信頼されていると感じられることは人間性を認められていると感じられることでした。
私の青年期を知っている人は「ローレンは放蕩娘」と思っている人もいると思います。確かに高校を中退し、家を出て、ボーイフレンドの家に転がり込み、夜クラブで歌っている少女だったのでそう思うのも致し方ないと思います。それが更生して教会に戻ってきた、と言う風に思う人もいると思いますし、そう思うのもわかります。でも私は、こういうと語弊があるかもしれませんが、自分が変わったとは思っていません。もちろん栄光から栄光へとイエスの似姿に変えられていると思いますし成長していると思いますが、そのころの私が不良少女で良い少女に更生したとは全く思っていません。むしろ、そのような場所にいたりルールは色々と破っていましたが、当時私はとても純粋にイエス様を求めていました。その神様への思いは今とあまり変わらないように思います。ただどう近づけばいいのか、どう生きればいいのか、何が正しくて何が間違っているのか、何が神の目に喜ばしいのかをわかっていなかった故に間違った選択もしましたしそれによって苦しみました。でも神様がすごい存在で最高な存在で自分を愛してくれていて主の中に自分の求めてる答えがあるんだと純粋に信じていて、近づきたいしもっと知りたいけどどうやったらそれができるのかわからなかった少女時代だったのです。しかし自分の罪を認め、赦されてることも信じ、「あなたをもっと知りたいけどどうすればそれができるかわからないです」と道端に座り込み一人寒空の下祈った16才の少女の祈りを神様は聞いてくださりそれに答えてくださりました。そこから少しずつ少しずつ私は神様のことをもっともっと知っていき今に至ります。
今もあの時のように神様を求めています。いつか今日を振り返り「あぁ、あの時も全然わかってなかったな」と思うことでしょう。でも以前よりは確実に前に進んでる。信仰の歩みってそういうものじゃないかなって思うんです。今の私を愛してくれてる神様は少女時代の私のこともたまらなく愛してくれていたのです。あの頃も「どんな人になるか」が大切だと思っていた。今はそれを行動に移すことの大切さを知りそれができたりできなかったりする中で品性が錬られている途中です。そして「どんな人であるか」が「どんなことをするか」に影響を及ぼす、そのような順序であると思うのです。
肩書きよりも中身が大切だと思っていて、好きなことは趣味に留めればいいと思っていた私が今こうして音楽を仕事にしていることはとても不思議に思います。神様の業は奇しいものです。最近になって音楽家であることのパワフルさ、この働きの尊さについて学んでいます。私が音楽家としてどんなものを残すかも大切なことだと学んでいます。しかしやはりどのように生きるか、人をどのように大切にし愛するか、信じていることを行動にうつすかどうか、そのほうがはるかに尊いとの思いは変わりません。それを礎に他のものを建てあげていくのです。
最後に私の大好きな内村鑑三氏の「後世への最大遺物」からの言葉をシェアしてこのポストをとじたいと思います。
それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。
あなたのうちに生きているイエス様の栄光があなたの人生を通して輝きますように。